どうも、yumihiko氏です。
さときっちゃんが7歳になりました。
7年前、さときっちゃんが産まれた日のこと、鮮明に憶えています。
夜中から始まった陣痛が明け方本格的になって病院に連絡したら「朝ごはんとシャワーを済ませたら慌てずに病院においで」と看護師さんに言われたこと
(マジでわたし今から人間を産まないといけないんか……マジか……え…マジ……?)となりながら母が作ってくれた味噌汁を食べたこと
5分おきに痛くなるお腹に耐えながらシャワーを浴びたこと
祖父(寝たきり)のオムツ替えをしていた母と祖母に「いってくるね」と言ったら2人は「いってらっしゃい、気をつけてね」とふつうに返事してくれたこと(オムツ替えに必死だったのでしょう)
トシローは呑気に笑っていた気がします(通常営業)
病院までの道は、休日の朝早くだったのでめちゃくちゃ空いてて、
あとめちゃくちゃ天気が良くてめちゃくちゃに寒かった
病院までの車内でももちろん(マジで私が?これから?人間産むの?こわ)と思っていました
当時はさときち先輩にも言わなかったけど、「こわい、無理、誰かやってくれてもよくない?」と内心ずっと思っていました。
病院に着いて、着替えたり内診したりして陣痛室に案内されて
日曜日だったので、テレビではシューイチをやっていました。
陣痛室にはテニスボールとかバランスボールとか、いわゆる陣痛に効くグッズが置いてあったのでそれぞれちょっと試したけど私にはなんの効果ももたらさなくて(ふざけんなよ)と思いました(?)
途中でお昼ごはんが運ばれてきて、たしか麻婆豆腐(好物)だったのだけど、もう全然食欲なんて無くてさときち先輩がおいしくいただいたはずです。
「陣痛の合間にご飯食べた」って人よく居るけど、すごくない?強すぎない?わたしはそんなの全然無理でした
陣痛、めちゃ叫ぶ人とかいるらしいが、個人的にアレは叫ぶ痛みでは無かったです。とにかくさときち先輩の腕をつねりながら壁の模様を見つめ続けるというタイプでした。あなたの陣痛の乗り換え方はどこから?私は壁から。
妊娠中、「陣痛中に気を紛らわせるために音楽聞きたい、バンプとか」としょーもないことを言っていたので
さときち先輩は、私に言われたとおりバンプを流してくれたけど、6秒くらい聞いて(うるせぇな)と思って切ってもらいました。あとにも先にも藤原基央さんの歌声を(うるせぇな)と思ったのはあの時だけです。その節はすみませんでした。
いざ分娩室に入ってからのことは7年前ブログに書いたので端折るけど、分娩室にはずっとオルゴールが流れていて、さときっちゃんが産まれた直後は宇多田ヒカルの「ファーストラブ」のオルゴールバージョンが流れていたのをハッキリと憶えています。
あと、さときち先輩が薄ピンクの割烹着(※割烹着ではない)を着ていてかわいかったことは有名(?)な話
よく「産まれた我が子を初めて抱いたとき、私はこの子に出会うために生まれてきたんだと思った」とか「この子を守るためならなんだってしよう、と思った」とか「やっと会えた喜びで涙が止まらなかった」とか言う人いるけど、私がさときっちゃんを産後5分くらいで初めて抱っこした感想は「ハァ〜お互いつかれたね〜」ってことでした。涙どころじゃないのよ、使命感に胸震わせてる場合じゃないのよ
あれから7年経った今も、さときっちゃんに出会うために生まれてきたとは思わないけど、さときっちゃんという人間に出会えたこと、すごくうれしいなと思っています。ありがとうね。
その日の夜はとにかくアレ(会陰切開)とアレ(痔)が痛くて痛くてベッドに横になったら最後、起き上がることも寝返りを打つこともままならず、
病室のテレビで年末って感じの漫才番組が流れていて、起き上がれない私は声だけ聞いていた記憶があります。さときち先輩はサンドウィッチマンの漫才観ながらキャッキャ笑ってた。かわいいね(?)
そういや、さときっちゃんに「僕が産まれたとき、お母さんはどうだった?大変だった?嬉しかった?」みたいなことを聞かれることがちょいちょいあって、
その都度「も〜〜〜大変だったよ〜〜〜人間産むの本当に大変、すごく嬉しかったけどね!!ちなみにお父さんはさときっちゃん産まれた瞬間、めちゃくちゃ泣いてたよ、ピンクの割烹着着て。ピンクの割烹着のお父さん、これがまたかわいいんだわ!!!」としっかりと伝えています。
さときっちゃんはその都度、(よくわかんないけどうれしいな)みたいな顔をしています。
不思議なことに、さときっちゃんが産まれる前日のことや産まれた翌日以降のことはほとんど覚えていないのに、さときっちゃんを出産した日のことだけはかなり細かいことまで鮮明に憶えている。
さときち先輩も、もちろんさときっちゃんも憶えていない2016年12月18日のこと、私はずっと憶えておきます。
なんかのアレであったよね、「世界でたった一人でも"サンタさんは居る"って思っている人がいる限りサンタさんは居る。世界中の全員がサンタさんは居ない、と思った時にサンタさんは居なくなるんだよ。」ってみたいな言葉。そういうことです。どういうことです?
てなわけで。
あ、そうそう、
私が生まれて初めての〈親〉をやるにあたり、肝に銘じている言葉があって、
これ、前も言いましたっけ?言ってないですっけね?ま、言ってたとしても大事なことなのでもう一回言っておきますね。
私が大好きなドラマ「プリーズ・ドント・ライク・ミー」にて
「君は自分のお父さんのこと、良い親だと思う?」と親友に聞かれた主人公が
「う〜〜ん…」としばらく考えたあと、
「いい親だと思うよ、思うけど、月を見て、(もっといい月があるかも)とは思わないよね…?僕にとってお父さんは彼だけだから(もっといい親がいるかも)なんて思いもしないよ」
と答える
このセリフはずっと頭に残っていて、良くも悪くもさときっちゃんにとっての親は私たち2人しか居ないことを、思い出させてくれます。
あと、そうそう
(なんの脈略も無く思い出したことを書いています)
さときっちゃんの担任のK先生、私、とても好きなんですが
保護者会での
「人生には、誰にでも必ずいい時と悪い時がありますよね。おうちの方には、ご自身の〈悪いとき〉の話をお子さんにしてほしいです。こんなことがあったけど、今はこうやって楽しく生きてるよ〜、と。もちろんご自身の中で気持ちの整理がついてからでいいのですが。(笑)
子どもたちは、何か失敗したり悪いことが起こるとそこで人生が終わる、絶望、みたいに気持ちにすぐなってしまうので、大丈夫だよ、ひとつの失敗で人生終わらないよ!ほら、お父さんもお母さんもたくさん失敗したりイヤなことあったけど、今もそれなりに生きてる!と大人が話すことが子どもたちにとってとても大切なことだと思います。」
というK先生の話も心に残っています。
私が子どもの頃とはやっぱり小学校の教育も変わってきているような気がします。いい意味で。
先生や学校にもよるのだろうけど。
先生の話と通じるけど、
「お父さんも子どもの頃マラソン大会きらいだったのか〜」とか「お母さんも学校きらいだったのか〜」とか「大人でも泣いたら怒ったり失敗したりするのか〜」と、大人の「裏の顔」みたいなのを知ることで安心して生きることが出来るかな、と思って、さときっちゃんには正直にお母さんお父さんのきらいなものや失敗を話すようにしています。
さときっちゃんは「お母さんはすぐに道を間違えちゃうよね」とか「お父さんは絵を描くのが苦手だよね」とか「大人でも失敗したり泣いたりするんだよね」などとよく言っているので、そういうことがちょっとでも彼の励みというか、そういうのになっていればな、と思っています。
ちなみにきゅうりをふつうに食べられるさときっちゃんに対してさときち先輩は「よく食べられるね、えらすぎる」と関心しています。
そう、さときち先輩はきゅうりが大嫌い
「きっと向こう(きゅうり)も僕のこと嫌いだと思う」というのは彼の口癖です。
あ、そうそう、
私が「あの人きらい」とか「あの人って〇〇だよね〜」と悪口を言うとさときち先輩は「向こうもyumihiko氏のこときらいだから大丈夫だよ」と必ず言います。
それを言われると、そうか…たしかにな…お互い様か…と妙に納得してしまえるので悪くないです。
さてさて、これなんのブログか忘れてたけど、さときっちゃん生誕7周年のブログだったわね!!!
というわけで、7歳になったさときっちゃん、改めてお誕生日おめでとう!!!!!
お父さんとお母さんはいつでもあなたのことが大好きです!!!!!これからもその名前の通り、自分が信じた道を突き進む人でいてね!!!!!お父さんとお母さんはいつでもそれを応援するから!!!!!
宇多田ヒカルの「あなた」に
「何度聞かれようと
変わらない答えを聞かせてあげたい」という
歌詞があるけれど、
本当にそういう気持ちです。
この先の人生、色々つらいことあっても「お父さんとお母さんはいつでも僕の味方」だとわかっていてほしいです。
さときち先輩と引き続き、さときっちゃんのお父さんお母さんとして精進していきます。
7歳も、素敵な一年にしようね!!!!!ビッグラブ!!!!!
それでは皆さん良いお年を〜〜〜〜〜!!!!!!!!
(これさえ言っておけばうまいことまとまると信じてやまない)