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さときっちゃんが7歳になりました

どうも、yumihiko氏です。

 

 

さときっちゃんが7歳になりました。

 

 

 

7年前、さときっちゃんが産まれた日のこと、鮮明に憶えています。

 

夜中から始まった陣痛が明け方本格的になって病院に連絡したら「朝ごはんとシャワーを済ませたら慌てずに病院においで」と看護師さんに言われたこと

 

(マジでわたし今から人間を産まないといけないんか……マジか……え…マジ……?)となりながら母が作ってくれた味噌汁を食べたこと

 

5分おきに痛くなるお腹に耐えながらシャワーを浴びたこと

 

祖父(寝たきり)のオムツ替えをしていた母と祖母に「いってくるね」と言ったら2人は「いってらっしゃい、気をつけてね」とふつうに返事してくれたこと(オムツ替えに必死だったのでしょう)

 

トシローは呑気に笑っていた気がします(通常営業)

 

病院までの道は、休日の朝早くだったのでめちゃくちゃ空いてて、

あとめちゃくちゃ天気が良くてめちゃくちゃに寒かった

病院までの車内でももちろん(マジで私が?これから?人間産むの?こわ)と思っていました

 

当時はさときち先輩にも言わなかったけど、「こわい、無理、誰かやってくれてもよくない?」と内心ずっと思っていました。

 

 

病院に着いて、着替えたり内診したりして陣痛室に案内されて

 

日曜日だったので、テレビではシューイチをやっていました。

陣痛室にはテニスボールとかバランスボールとか、いわゆる陣痛に効くグッズが置いてあったのでそれぞれちょっと試したけど私にはなんの効果ももたらさなくて(ふざけんなよ)と思いました(?)

 

途中でお昼ごはんが運ばれてきて、たしか麻婆豆腐(好物)だったのだけど、もう全然食欲なんて無くてさときち先輩がおいしくいただいたはずです。

 

「陣痛の合間にご飯食べた」って人よく居るけど、すごくない?強すぎない?わたしはそんなの全然無理でした

 

 

陣痛、めちゃ叫ぶ人とかいるらしいが、個人的にアレは叫ぶ痛みでは無かったです。とにかくさときち先輩の腕をつねりながら壁の模様を見つめ続けるというタイプでした。あなたの陣痛の乗り換え方はどこから?私は壁から。

 

 

妊娠中、「陣痛中に気を紛らわせるために音楽聞きたい、バンプとか」としょーもないことを言っていたので

 

さときち先輩は、私に言われたとおりバンプを流してくれたけど、6秒くらい聞いて(うるせぇな)と思って切ってもらいました。あとにも先にも藤原基央さんの歌声を(うるせぇな)と思ったのはあの時だけです。その節はすみませんでした。

 

 

いざ分娩室に入ってからのことは7年前ブログに書いたので端折るけど、分娩室にはずっとオルゴールが流れていて、さときっちゃんが産まれた直後は宇多田ヒカルの「ファーストラブ」のオルゴールバージョンが流れていたのをハッキリと憶えています。

 

あと、さときち先輩が薄ピンクの割烹着(※割烹着ではない)を着ていてかわいかったことは有名(?)な話

 

よく「産まれた我が子を初めて抱いたとき、私はこの子に出会うために生まれてきたんだと思った」とか「この子を守るためならなんだってしよう、と思った」とか「やっと会えた喜びで涙が止まらなかった」とか言う人いるけど、私がさときっちゃんを産後5分くらいで初めて抱っこした感想は「ハァ〜お互いつかれたね〜」ってことでした。涙どころじゃないのよ、使命感に胸震わせてる場合じゃないのよ

 

 

あれから7年経った今も、さときっちゃんに出会うために生まれてきたとは思わないけど、さときっちゃんという人間に出会えたこと、すごくうれしいなと思っています。ありがとうね。

 

 

その日の夜はとにかくアレ(会陰切開)とアレ(痔)が痛くて痛くてベッドに横になったら最後、起き上がることも寝返りを打つこともままならず、

 

病室のテレビで年末って感じの漫才番組が流れていて、起き上がれない私は声だけ聞いていた記憶があります。さときち先輩はサンドウィッチマンの漫才観ながらキャッキャ笑ってた。かわいいね(?)

 

 

そういや、さときっちゃんに「僕が産まれたとき、お母さんはどうだった?大変だった?嬉しかった?」みたいなことを聞かれることがちょいちょいあって、

 

その都度「も〜〜〜大変だったよ〜〜〜人間産むの本当に大変、すごく嬉しかったけどね!!ちなみにお父さんはさときっちゃん産まれた瞬間、めちゃくちゃ泣いてたよ、ピンクの割烹着着て。ピンクの割烹着のお父さん、これがまたかわいいんだわ!!!」としっかりと伝えています。

 

さときっちゃんはその都度、(よくわかんないけどうれしいな)みたいな顔をしています。

 

 

不思議なことに、さときっちゃんが産まれる前日のことや産まれた翌日以降のことはほとんど覚えていないのに、さときっちゃんを出産した日のことだけはかなり細かいことまで鮮明に憶えている。

 

さときち先輩も、もちろんさときっちゃんも憶えていない2016年12月18日のこと、私はずっと憶えておきます。

 

なんかのアレであったよね、「世界でたった一人でも"サンタさんは居る"って思っている人がいる限りサンタさんは居る。世界中の全員がサンタさんは居ない、と思った時にサンタさんは居なくなるんだよ。」ってみたいな言葉。そういうことです。どういうことです?

 

 

 

 

てなわけで。

 

あ、そうそう、

 

 

私が生まれて初めての〈親〉をやるにあたり、肝に銘じている言葉があって、

これ、前も言いましたっけ?言ってないですっけね?ま、言ってたとしても大事なことなのでもう一回言っておきますね。

 

 

私が大好きなドラマ「プリーズ・ドント・ライク・ミー」にて

 

「君は自分のお父さんのこと、良い親だと思う?」と親友に聞かれた主人公が

 

「う〜〜ん…」としばらく考えたあと、

 

「いい親だと思うよ、思うけど、月を見て、(もっといい月があるかも)とは思わないよね…?僕にとってお父さんは彼だけだから(もっといい親がいるかも)なんて思いもしないよ」

 

と答える

 

このセリフはずっと頭に残っていて、良くも悪くもさときっちゃんにとっての親は私たち2人しか居ないことを、思い出させてくれます。

 

 

 

あと、そうそう

(なんの脈略も無く思い出したことを書いています)

 

 

さときっちゃんの担任のK先生、私、とても好きなんですが

 

 

保護者会での

 

 

「人生には、誰にでも必ずいい時と悪い時がありますよね。おうちの方には、ご自身の〈悪いとき〉の話をお子さんにしてほしいです。こんなことがあったけど、今はこうやって楽しく生きてるよ〜、と。もちろんご自身の中で気持ちの整理がついてからでいいのですが。(笑)

 

子どもたちは、何か失敗したり悪いことが起こるとそこで人生が終わる、絶望、みたいに気持ちにすぐなってしまうので、大丈夫だよ、ひとつの失敗で人生終わらないよ!ほら、お父さんもお母さんもたくさん失敗したりイヤなことあったけど、今もそれなりに生きてる!と大人が話すことが子どもたちにとってとても大切なことだと思います。」

 

というK先生の話も心に残っています。

 

 

私が子どもの頃とはやっぱり小学校の教育も変わってきているような気がします。いい意味で。

先生や学校にもよるのだろうけど。

 

 

 

 

先生の話と通じるけど、

 

「お父さんも子どもの頃マラソン大会きらいだったのか〜」とか「お母さんも学校きらいだったのか〜」とか「大人でも泣いたら怒ったり失敗したりするのか〜」と、大人の「裏の顔」みたいなのを知ることで安心して生きることが出来るかな、と思って、さときっちゃんには正直にお母さんお父さんのきらいなものや失敗を話すようにしています。

 

さときっちゃんは「お母さんはすぐに道を間違えちゃうよね」とか「お父さんは絵を描くのが苦手だよね」とか「大人でも失敗したり泣いたりするんだよね」などとよく言っているので、そういうことがちょっとでも彼の励みというか、そういうのになっていればな、と思っています。

 

ちなみにきゅうりをふつうに食べられるさときっちゃんに対してさときち先輩は「よく食べられるね、えらすぎる」と関心しています。

 

そう、さときち先輩はきゅうりが大嫌い

「きっと向こう(きゅうり)も僕のこと嫌いだと思う」というのは彼の口癖です。

 

あ、そうそう、

私が「あの人きらい」とか「あの人って〇〇だよね〜」と悪口を言うとさときち先輩は「向こうもyumihiko氏のこときらいだから大丈夫だよ」と必ず言います。

それを言われると、そうか…たしかにな…お互い様か…と妙に納得してしまえるので悪くないです。

 

 

 

 

さてさて、これなんのブログか忘れてたけど、さときっちゃん生誕7周年のブログだったわね!!!

 

 

というわけで、7歳になったさときっちゃん、改めてお誕生日おめでとう!!!!!

お父さんとお母さんはいつでもあなたのことが大好きです!!!!!これからもその名前の通り、自分が信じた道を突き進む人でいてね!!!!!お父さんとお母さんはいつでもそれを応援するから!!!!!

 

 

 

 

宇多田ヒカルの「あなた」に

「何度聞かれようと

変わらない答えを聞かせてあげたい」という

歌詞があるけれど、

本当にそういう気持ちです。

 

この先の人生、色々つらいことあっても「お父さんとお母さんはいつでも僕の味方」だとわかっていてほしいです。

 

 

 

さときち先輩と引き続き、さときっちゃんのお父さんお母さんとして精進していきます。

 

 

7歳も、素敵な一年にしようね!!!!!ビッグラブ!!!!!

 

 

 

 

それでは皆さん良いお年を〜〜〜〜〜!!!!!!!!

(これさえ言っておけばうまいことまとまると信じてやまない)

定期演奏会

どうも、yumihiko氏です。

 

 

 

2月に入団した市民吹奏楽団の定期演奏会がこのたび無事に終わりました。

せっかくなので備忘録として、日記書いておきます。

 

 

いや〜〜〜約20年ぶりの吹奏楽(クラリネット)、そして同じく約20年ぶりの演奏会。

練習も含め、とても楽しかったけど疲れました!!!でもとても楽しかった!!!

 

 

基本的に練習は週1,2回の数時間なんだけど、本番前の5月6月は感覚的には、毎週金土日はほぼ練習みたいなレベルで練習漬けでした。

しかもさ、今回の演奏会(アンコール含め全10曲)難しい曲が多かったこともあって、妖怪ブランクおばさんの私は、到底その練習だけじゃ間に合わなくて、週に一回、カラオケに通い頑張って個人練習もしました(褒めてほしい)

 

※最寄り行きつけカラオケ店舗〈コートダジュール〉さんへ

コロナ禍を乗り越えて生き残ってくれていてありがとう、これからもよろしくね

 

しかもしかも、6月はそれに加えてパート練習もあったので、週4でクラリネット吹いてる感じでした(褒めてほしい)

 

 

そんな感じで家に居ないことが多かったので、さときっちゃんに「お母さん、もう吹奏楽行かないでほしい」とか言われたりしたこともあったけど、さときち先輩に相談すると「僕がいるからさときっちゃんは大丈夫だよ、何も気にせず行っておいで」と言ってくれました。相変わらずいい男だな(遠い目、柔和な笑み)

 

 

 

 

さときち先輩とさときっちゃんのおかげで心置きなく吹奏楽を楽しめているし、ましてや本番にも無事立てたので本当に感謝。

 

 

演奏会当日は、さときっちゃんとさときち先輩はもちろん、両親、叔父叔母、いとこ、中学時代の友人(元吹奏楽部仲間)も観にきてくれて、本当にありがとうございます、という気持ち。

 

終演後、団員でお客さんのお見送りをした際、さときっちゃんのこともお見送り(ちょっとおしゃべり)したんだけど、その時のことをあとで

 

「帰る時に、遠くのほうでお母さんの嬉しそうな顔が見えた気がしてそっちのほうに進んでいったら本当にお母さんだった」と言っていて、

 

なに???詩???声に出して読みたい日本語じゃん……ってなりました。

 

 

子どもにとっては難しい曲多かったので「途中で飽きちゃったら帰っていいからね」とさときっちゃんには言ってあったのだけど、「途中で帰るつもりだったけど、(まぁせっかくだし最後まで居てやるか!!)って思って最後まで居た」とも言っていました。

なに???さっき↑の詩とは打って変わってめちゃくちゃ上から目線じゃん。…最後まで居てくれてありがとうね。楽しかったみたいでなによりです。

 

 

吹奏楽の生演奏を生まれて初めて聴いたさときち先輩も「すごかったよ」と小学生みたいな感想をくれてよかったです。

 

 

さときっちゃん、演奏会翌日、同じアパートの母子に遭遇したときに「きのう、僕、あじさいコンサート(コンサートの名前)行ってきた!!お父さんとおじいちゃんおばあちゃんとおじさんおばさんも一緒に行った!!お母さんが出た!!」となんの前振りも無く大きめの声で突如話し出したの、6歳って感じですごくよかったです。自慢気だったのもすごくよかったです。

ちなみに同じアパートの母子たちは「えっあじさいコンサート…えっなに、えっ」ってなってました。そりゃそうだ。

 

そして、来年(一年後)の演奏会の日程も既に決まっているのだが「あじさいコンサート2024は6月30日だからね!また僕、行くからね!忘れないように書いておくね!」と小さいメモ帳に一生懸命書いていました。かわいいね。

 

こんな感じで演奏会後、だいぶテンション上がってた彼なのに、楽器に興味は全く湧いてないそうです。なんでだよ。ウソだろ。期待をさせるなよ。(?)

 

 

あ、そうそう肝心の本番自体は、たくさんのお客さんが見に来てくれて本当によかったです。

 

部活時代も思ったけど、練習時間ってめちゃくちゃ長いし特に本番前なんて死ぬほど練習するんだけど、本番は始まってしまうとほんとにあっという間。2時間弱のステージだけど、体感20分くらい。ほんとに、あっっっという間に終わるんだよねぇ。

 

 

演奏会後の打ち上げで、「今回初めてあじさいコンサートに立った人、何か一言ずつ言って〜!」というコーナーがあって、私ももちろん初めてでしたのでご挨拶させていただきましたけど、その中で「舞台で演奏する非日常体験ができてほんとに楽しかったです!!!」と言ったら団員のみなさん、首もげるくらい頷いてましたね。結局、あの、舞台に立つという〈非日常体験〉をするためにみんな、仕事や家事や育児やその他もろもろ大変な中でも、音楽を続けているんではないかなぁ〜と思いました。私もそうです。もちろん、音楽や楽器や吹奏楽が好きなのは大前提として。

 

 

ちなみに今回の定期演奏会、4年ぶりとのことでした。コロナ禍の数年で、たくさんの団員がやめていったとのことでした。大変だよねぇ、本当に。

 

 

てなわけで、ひとまず入団後初めての演奏会を無事終えることができてホッとしております。

 

 

さときち先輩、この数ヶ月、応援してくれてありがとう。ここからしばらくは練習日も減るので、また、夫婦の時間をたくさん過ごしていきましょうね!!!!!!!!(血眼)

 

っていうかさときち先輩、私の趣味を応援するだけじゃなくて「練習多くて大変なのに、めんどくさがらずにちゃんと行ってえらいね、途中でやめないのえらいよ」と、褒めてまでくれたんだけど、え??器のデカさ、カスピ海???これからも褒めて伸ばしてくださいね⭐︎

 

 

さときっちゃんには、引き続き、楽器を好きになるよう洗脳していきます⭐︎

 

 

 

 

 

 

 

それではまた、あじさいコンサート2024でお会いしましょう〜〜〜!!!!!!

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(演奏会で両親がくれたお花)

卒園式

どうも、yumihiko氏です。

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

 

さときっちゃんの卒園式が先日無事終わりました!!!パチパチパチパチ!!!!!

 

 

さときち先輩の帰国に伴って、年長の10月に転園したさときっちゃん。いまの園での日々はたったの半年間だったけど、母子ともに(?)とても楽しく過ごせた半年間の園生活でした。

 

 

年長さんの途中で転園することについて、転園前は不安もあったけど、今となっては、さときっちゃんと私にはふたつの幼稚園の思い出ができたし、ふたつの幼稚園でお友達もできたし、さときっちゃんの成長を楽しみにしてくれる先生も倍になって、ラッキー!!!!!という気持ちでいっばいです⭐︎

 

 

 

卒園式当日は春の気候でとても良い日でした。

 

卒園のお歌を2曲披露していただいたんですが、さときっちゃん、2曲の間に計6回あくびをしていてウケました。

 

卒園式後、わたしとさときち先輩で「さときっちゃん、歌いながらあくびしてたよね?」と詰めるも、さときっちゃんは「いや〜アレはね、あくびじゃないのよ」と頑なに認めなかったわけですが、

 

さときち先輩が撮影した卒園式動画で3人で検証するとやっぱり明らかにあくびしてて、最初はそれでもバレないように気遣ってる感じあったんだけど(ウケる)、3回目くらいからはもう完全に気持ちよく大あくびしちゃっててめちゃくちゃウケました。

 

あくび動画を検証しながらさときち先輩が、「ほら!!(あくび)やっちゃってるね?!!」とさときっちゃんを詰め、詰められたさときっちゃんが「ほんとだwwwwwやっちゃってるwwwwwww僕、やっちゃってたwwwwwwww」と爆笑して、最終的に「やっちゃってたね〜〜〜!!!!!!」と3人でキャッキャ言う時間、めちゃくちゃ楽しかったです。マジでさときっちゃんはめちゃくちゃやっちゃってました。

 

ちなみに他にもチラホラ歌いながらあくびしてる園児居て、なんなの???お口を開けたら自然にあくび出ちゃうの???赤ちゃんなの???6歳児、余裕でかわいくない???ってなりました。

 

 

 

 

園長先生から受け取った修了証書を、そのまま親(お母さん)の元に渡しに来て、その際にひとことお母さんへのありがとうを伝えてることになっていたらしく、「毎日ごはん作ってくれてありがとう」や「毎日幼稚園に送ってくれてありがとう」が続く中、さときっちゃんはなにを言うのかな?と思っていたら

 

「水曜日と土曜日に一緒にお風呂入ってくれてありがとう」って言ったんですよ。

 

周りのお母さんたち、「ふふふふふ」ってなって、「具体的でかわいい…」「最高だわ」などの呟きも聞こえました。

 

いや、この、「水曜日と土曜日に一緒にお風呂」ってのは、さときっちゃんの希望で〈水曜日と土曜日は浴槽にお湯溜めて(普段は各々シャワー)、家族3人で湯船に浸かる〉ってルールが、ある時から出来て、そのことを言ってて。

 

授与式終了後、クラスに戻ってから副担任のベテランおばちゃん先生に「いや〜〜〜お母さん?!!!授与式の時のさときっちゃんの言葉、最高だったでしょ?!!!?もうね、練習の時からお風呂のことを言うのはずっとブレなくて!!!さときっちゃんに水曜日と土曜日は家族でお風呂に入る、バスボムも入れるんだよって話を聞いて、なんて素敵なご家庭なの?!!?!と感動しちゃって!!!!!さときっちゃんにとって、水曜日と土曜日は本当に楽しみな特別な日なんだと思います!!!!!これからもぜひ続けて!!!!!」と、元気な親戚のおばちゃんのスタンス&テンションで言われて、嬉し恥ずかしでした。

 

 

毎日ごはん作ってくれてありがと、とかよりも、とにかく水曜日と土曜日の家族3人のお風呂タイムが6歳の彼にとっては本当に特別で嬉しい時間なんだなと知ることが出来ました。大人にしてみればなんてことない時間も、6歳の彼にとってはスペシャルなことなんだな、大切にしないとな、と思いました。

 

親戚のおばちゃんもとい副担任の先生には「彼が嫌がるまで続けますね!!!」と言っておきました。

 

たしかに、そういえば、母子ふたりで暮らしていた時から「お父さんが帰ってきたら3人でお風呂に入りたい」とよく言っていたことをふと思い出しました。夢だったんだね、さときっちゃんの。(柔和な笑み)

 

 

 

ちなみに、3人で入るときは、先にわたしとさときっちゃんが体とか頭とか洗って湯船に浸かり、給湯器の呼び出しボタンをさときっちゃんが押して、さときち先輩が登場するわけなんだけど、

 

全裸(当たり前)のさときち先輩、湯船に浸かってる私とさときっちゃんにめちゃくちゃ見られながらの入場なので毎回めちゃくちゃ恥ずかしそうに口つぐんで猫背(これはいつものことか)で入ってくるの、毎回毎回めちゃくちゃ楽しいです。

 

 

というわけで、これからもできる限り水曜、土曜のお風呂ナイトは続けていこうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

さときっちゃんが年長途中の入園だったので知らなかったのだけど、担任の先生は去年の4月にいまの園に来たばかりで、きりん組さん(さときっちゃんのクラス)が今の園では初めてのクラスだったとのことで。

 

 

「一年間、幼稚園でもお家に帰ってもみんなのことばかりたくさん考えて過ごしました。みんなのクラスの先生になれて本当に幸せでした。元気なだけじゃなくてやさしくてつよいみんなだから小学校でも大丈夫だよ。ひとりひとりの心の中のきらり(原石的な意味)をいつまでも持ち続けてね」と涙を堪えながら言葉を詰まらせながら笑顔で話していたのがすごくよかったです。

 

 

「今度はみんなのおうちの人にお話するから、みんなは静かに聞いててね」と前置きをして、

 

 

「先週だったかな?子どもたちに"先生のお仕事ってなんだと思う〜?"と聞いたら、みんな"え〜〜わかんない!!!なんだろう?!!"っていう答えで(笑)、びっくりもしたんですけど、わたしは正直嬉しくて。先生と生徒っていう壁のある立場じゃなくて、みんなと対等にお友達みたいに過ごせていたっていうことなのかな??みんなは壁を感じることなくわたしと過ごせたのかな、と思って。」

 

というお話を先生がしてくれて、教室内は泣き笑いみたいなほっこりムードにつつまれました。

 

 

正確にはなんて言ってたか忘れちゃって、実際にはもっと素敵な言葉で言っていたと思うのだけど、「幼稚園という、人間の基礎を作る上で大事なこの期間にこの子たちに少しでも関わらせていただけたこと、本当にありがたく思っています。毎日とても幸せでした。(要約)」と涙を堪えながら言葉を詰まらせながらもどうにか笑顔を作って一生懸命話してくれた先生。サイコーだなおい、と思いました。

 

 

別れ際、「かおり先生(仮名)でよかったです、さときっちゃんも先生だったからこんなに楽しく半年間を過ごせました」と伝えられたのでよかったです。

 

 

いっつも元気で明るくサバサバして子どもたちに「先生!!!先生!!!」とあちらこちらから呼ばれていたかおり先生。こちらこそたったの半年間でもさときっちゃんの人生に関わってくれてありがとうございました、という気持ちです。

 

 

 

 

さときっちゃんが幼稚園生になってからのこの3年間、さときち先輩は居ないしコロナ始まっちゃうしそのせいでマジでさときち先輩に会えないし幼稚園はコロナのせいでしょっちゅう休みになるし相変わらずさときち先輩は居ないし夏休みは地獄のように長いしそんな時でもさときち先輩はやっぱり居ないし母子ふたりでは色々と限界で、さときっちゃんとはたくさんケンカもしたしそりゃ〜〜〜大変だったけど、

 

 

 

こうして家族3人で卒園式に出席できたことが全てだと思います!!!!!

この3年間、さときっちゃんもさときち先輩も私も離れていたけど、会える日を信じ各々死なずに頑張って生きたから、この日を迎えられたわけで!!!!!ほんとうにがんばったね!!!!!えらかったね、私たち!!!!!という気持ちです!!!!!

 

 

 

 

ちなみに、さときち先輩が生まれて初めて参加した幼稚園行事が卒園式なのウケません???私はすごくウケちゃってます。コロナ禍海外単身赴任の闇を感じちゃって、めちゃくちゃウケちゃったます。ふふふ…………

 

 

 

 

てなわけで、さときっちゃん、4月から小学生!!!!!

 

 

さときち先輩の帰国により、育児の第一章がやっと終わったのも束の間、小学生入学により育児チャプター2始まりますね!!!!!

 

 

これからは偉大なるさときち先輩お父さん(もはや先輩なのかお父さんなのかなんなのかわからない)がいるので未知の世界小学校もドンと来い!!!!!

 

 

 

ってわけで、よいお年を〜〜〜〜〜〜!!!!!!!

さときち先輩が帰ってきた

どうも、yumihiko氏です。

 

 

さときち先輩が5年の任務を終えアメリカから帰ってきて早3週間が経とうとしています。

 

さときち先輩、もともとウケるけど、アメリカ人要素が加わってめちゃくちゃウケます。楽しくてしょうがない。

 

 

 

・久しぶりの右ハンドル、「えっと、僕は左を走り続ければいいんだよね?ひだりひだり…いついかなる時もヒダリ…」と唱える

 

・運転中、「なんなの?このゴミみたいに狭い道は。」と静かにキレる

 

・運転中、「でも鹿の死骸とか落ちてなくて道綺麗だね」と、アメリカ人特有の視点で褒める

 

・運転中、ウィンカー出そうとしてワイパー出しちゃって「おっといけねぇ」とつぶやく、それを繰り返すうちに「なんなんだよ」と静かにキレ出す

 

・ココスの看板を見て「ッカ〜〜〜!!もう看板だけで美味しい、黄色が美味しい」というよくわからないことを言う

 

・「日本は大抵の面でクソだけど、食べ物はほんとに美味しい」と言いながらなんでもとにかくバクバク食べる

 

ニトリのデカいカートを押しながら「えっ、なにこのスムーズな動き!!片手でもイケるし、全方向に動く!!日本すげぇな…」とアメリカ人ならではのジャパンの感じ方

 

・外出時、車から降りて2歩くらい歩いてから「あっマスク…まったくもう」と言いながら車に戻りマスクを着用。アメリカ人、マスク忘れがち

 

・ふつうサイズのポテトチップス食べるのめちゃくちゃ早い、「こんなもん小袋ですよ」とのこと

 

・食べ終わったポテチの袋をポイッとゴミ箱に投げ、まったく入らなくても「アメリカだったらアレで入ったようなもんだから」とのこと(そのまま放置され翌日にさときっちゃんが「なにこれ?お父さんのだね!」と言いしっかりとゴミ箱に捨てる)

 

・市役所でそこそこ待たされている時、「いくらなんでも待たせ過ぎじゃない?…まぁでも、(アメリカ人と違って)みんなちゃんと仕事してる感じ出してるから許すけど。あいつら(アメリカ人)はずっとコーヒー飲んでおしゃべりしてるだけだからね」と日本の勤勉さとアメリカのコーヒーさ(?)を比較

 

・緩衝材(プラスチック)を燃えるゴミと一緒に捨てようとするので「緩衝材はプラゴミだから!」と指摘すると「なんなの?プラって書いてないやつはぜんぶ燃えるゴミじゃないの?大体のものは燃えるよ、燃やしちまえよ、アメリカだったらなんでも燃やしてくれたよ、プラってなに、あとペットボトルのラベル剥がすのもなに?なんなの?ムズ過ぎ…」とゴミの分別に悪戦苦闘

 

・就学前健診にて、長ったらしい説明を聞いてる際、「…あの人の言ってることわかる?ぼく全然わかんないんだけど…日本語ムズ過ぎ…日本ムズい…ダメです」と諦める

 

・「印鑑ってなんなの???マジでクソなんだけど。なに?インカンって。」と静かにキレながら大量の書類を捌く

 

・「…ハァ〜〜〜!!!もう、ペーパーレスにしろよ」と静かにキレながら大量の書類を捌く

 

・「…ハァ〜〜〜!!!もう、ネットでできるようにしてくれよ」と静かにキレながらあらゆる手続きをする

 

・運転中、まったく道を譲ってもらえず「なんなんだよ、どいつもこいつも優しさのカケラもないな」と静かにキレる(たしかにアメリカ人はめちゃくちゃ道譲ってくれた記憶がある)

 

・サイゼで爆食いするも家族3人で1,800円くらいで「えっ?!!!!安ッ!!!!!!」と彼にしては大きめの声が出る

 

・「日本ぜんぶ美味しいけど、結局納豆ごはんが一番美味しい」と、いかにもアメリカ帰りみたいなことを言う

 

・ちがうスーパーに行くたびに「ちょっと散歩させて」と言い、店内を隈なくチェックし「うわ〜〜〜アツいな〜〜〜」と、わたしにはサッパリ何がアツいのかわからないアツさを感じるアメリカ人

 

・近所のホームセンターで、アメリカ産の歯間ブラシを発見し「うぉ!!コレは!!」と興奮しながらお買い上げるアメリカ人

 

・「小銭要らないんだよね」と、小銭が貯まるとyumihiko氏にくれるアメリカ人。(アメリカ人は小銭に一切の価値を感じない)

 

 

…挙げたらキリがないけど、とにかくアメリカ人は色んなことにキレたり感動したりしていて、とてもたのしいです。

 

 

 

 

さときち先輩と暮らすのめちゃくちゃ久しぶりだったし、そもそも相手はアメリカ人だしで(?)、仲良く暮らせるかな?と少なからず不安があったけど、元々メンタル激つよ大らかおもしろヒューマンだったさときち先輩、5年間のアメリカ人を経てそれに拍車がかかったみたいで、久しぶりの同居も仲良く穏やかにたのしく過ごせています。ありがとう、激つよ人間のさときち先輩。

 

 

 

 

 

 

 

 

さときっちゃんとさときち先輩は言うまでもなくアレなので特に言いませんよ。だっていつもいつもふたりでアレなんだからさ、ほんと勘弁してよ。

 

さときっちゃん、とにかくお父さんのにおいを嗅ぎたいみたいでほんとに隙あらばクンクンと嗅ぐのでさときち先輩も引き気味で「とめどないな…」などと言っててたのしいです。

 

 

 

 

わたしが詰まらせた掃除機を掃除したりわたしが長年掃除を放置していた加湿器を掃除したりわたしがキッチンに溢し散らかした紅生姜の汁を掃除したりわたしが野菜の皮やなんやらで溢れ返させたキッチンの排水口を「この、溢れ返すやつやめてくれない?」と言いながら片付けたりとにかく毎日忙しそうでかわいそうかわいいです。

 

あとさときち先輩、わたしが「まぁそのうち気が向いたら洗うか!」と放置してた水筒や鍋を気づいた時にすぐ洗ってくれるんですけど、いやこれってほんと、人間として最高の人間じゃないですか?自分以外の人間によってシンクに放置されてる、洗うのめんどくさいタイプの物を気づいた時に何も言わずに洗える人間って人間の最高峰だと思うんですけど、どうですか?そうです、人間の最高峰です。

 

 

 

 

 

わたしのやらかしをさときち先輩が「ねぇ、これ犯人鈴木さんだよね?」とかなんとか言いながら後始末してくれるんですが、「反省してる?ちょっと廊下立ってて」と真顔で言われたりして楽しいです。楽しくて「ヒャッヒャッヒャ」とか笑ってると更に真顔で「いや笑いごとじゃなくて、廊下立ってて」と言われて〈マジで廊下にしばらく立たされる34歳〉が爆誕したりしています。マジか。ウケる。ヒャッヒャッヒャ、つらい、ヒャッヒャッヒャ。

 

 

 

 

そういえば、新しい幼稚園(さときっちゃん、今月から転園)ではこれまで使ってた手提げ袋に肩ひもをつけないといけなくて(ミシン必須)、さときち先輩が「父ちゃんが夜なべするか〜」っつって夜な夜なミシンで肩紐付けてくれました。さときち先輩が猫背で夜な夜なミシンする姿、めちゃくちゃよかったですね。ありがとうございますね。

 

ミシン初体験だったさときち先輩だけど、「なるほどね、ミシンももう把握したわ」と真顔で言っていました。たのしいです。(?)

 

 

 

 

さときち先輩がいると毎日たのしい出来事の連続なので色々書きたいのだけど、久しぶりのブログで体力が持たないのでとりあえず今日のところは終わります。まぁ別に特に体力は使ってないんですけど。

 

 

 

 

これから、念願の家族3人ゆかいな暮らしをちょくちょくブログで残していけたらな〜と思っています。

 

 

そういや、とある土曜の夜、さときち先輩に「明日はなにする?どっか行きたいところある?」と聞かれ「さときち先輩が居ればわたしはそれだけでじゅうぶんだよ!地の果てまでついていく!」と答えたら「あぁそう。じゃあさときっちゃんと出掛けてくるね」って、全然話通じなくてウケちゃったな。温度差で風邪引きそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

さてさて、最後に…

 

 

さときち先輩へ。

 

5年間のアメリカ人、ほんとうにお疲れ様でした!!!!!離れて暮らしてる間も私とさときっちゃんのことを常に気にかけてくれてありがとう!!!!!無事に帰ってきてくれてうれしいです!!!!!これからよろしくね!!!!!

yumihiko氏のブルース

みなさんこんにちはyumihiko氏です。

 

気づけば梅雨ですね。低気圧やばくないですか?低気圧でやばいのに5歳はふつうに、ぐったりして横になってるお母さんを叩き起こしてドデカボイスで「段ボールで新幹線作って?!」とか言ってきますよね、やばくないですか?????

 

 

 

というわけで、特に何があったわけでもなくなんとなくブログを久しぶりに更新してみようと思います。

 

 

 

さときち先輩、本来であれば赴任期間丸5年となる今年の8月で本帰国のはずだったんだけど、まぁ案の定アンポンタン(さときち先輩の会社のこと)が駄々こね出したらしくて、今のところは10月?に帰ってくる予定だそうです。まぁでもアンポンタンのことは本当に信用してないのでね、秋に帰ってくるのかどうも謎です。

 

とりあえずさときち先輩には、これ以上シカに轢かれないように気をつけてもらって(一昨年、ツーリング中にシカに轢かれて鎖骨骨折して手術。「バイクはたぶんもう一生乗らない」「奈良公園にも一生行かない」とのこと。)、残りのアメリカ生活を謳歌して無事にそのうち帰ってきてほしいです。

 

ちなみにさときち先輩がシカに轢かれて以降、さときっちゃんはシカのことを「シカども」「シカのやつめ」呼ばわりします。絵本とかにシカが出てくると「コイツらが!!お父さんの首を斬ったのか!!!」とか言うんだけど、お父さんは決してシカに首を斬られたわけではないのよ。ひどい勘違い。

 

このことをシカに轢かれた本人に話すと「うむ、あぁそうだろうね」みたいな、シカへの憎悪を当たり前とするような返事だったので、父子揃ってシカ憎悪が凄くてこわいな、と思いました。

 

 

 

 

そういや、こないだ久しぶりにお父さんとテレビ電話したさときっちゃん、照れ過ぎて鼻の下伸び太郎になってたわ。推しとテレビ電話したときのオタクってこんな感じなんだろうな、と思いました。

 

 

 

 

 

Netflixの『私たちのブルース』、皆さん観ました?!?!!

我らがBTSのジミンさんが挿入歌を担当してるって理由だけでなんとなく観始めたんですが、物凄くよくてビックリしちゃいました………

 

韓国の済州島を舞台にした物語なんですが。

済州島に住む人々の人間模様と言いますか、日々のアレコレと言いますかそういうのをね描いたドラマなんですけど。オムニバス形式って言うのかな?回によって主役となる人物が変わるんですよ。今日はこの人のエピソード、今日はこの人とこの人のエピソードって感じで。

 

なんかもう一人一人の人生をそのまんま覗いてしまってるような、ドキュメンタリー見てるみたいなそんな感覚に陥りました。本当にこの人たち、済州島に存在してるんだろうな、みたいな。

 

いや〜〜〜脚本とか音楽とか映像とかとにかく全てが素晴らしい!!!!!そしてやはりなにより俳優陣たちが素晴らしい!!!!!!

 

老若男女、さまざまな世代の俳優が出てるだけど、みんな素晴らしい。

 

特にyumihiko氏のお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん世代の俳優の方々!!!素ん晴らしい。素晴らしい、じゃない、素ん晴らしい!!!演技力が凄すぎて演技じゃなくなってる。

 

中でもイ・ビョンホンさんがすごく印象的でした。ストーリー的にもこのドラマの主役と言っても過言ではない感じでした。韓国の俳優のことほとんどわからないので、イ・ビョンホンさんも名前と顔と「有名な人だよなたしか」ってことしか知らなかったし彼の演技をしっかり見たことがなかったですが、このドラマを見て、「恐るべし!!!!!イ・ビョンホン!!!!!!あなたは売れる!!!!!!!

」と思いました。(もうとっくに売れまくっている)

 

 

そして、島のみんなのオモニ(お母さん)的なふたり(チュニとオクドン)…なんかもうすごかったです。すごかった。2人の演技。すごい。

 

 

いや〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。ストーリー的には派手さは無いしオチがどうなる、とかそういうものではないんだけど、本当にひたすらに誰かの人生をそのまんま見せられているようなそんなドラマ。セリフも綺麗事みたいな言葉は全く無くて(そうだよね、現実ってこんなもんだよね)みたいな、妙にしんみりしてしまうものばかりで…。

ハマり過ぎて一晩で一気見!!!というよりは毎日一話ずつゆっくり進めていきたいようなそんなドラマでした。最終回もとても良かった。丁寧に丁寧に作られたことがよくわかる作品でした。時が経ったらまた見返したいな。あと、済州島行きたい。(すごくミーハー)

 

 

 

 

 

 

結局『私たちのブルース』がいかに素晴らしかったかを伝えるだけのブログになりましたけど、そろそろ終わりますね。

 

 

 

長い梅雨が明ければいよいよ夏休み!!!!!!5歳の息子くんと過ごせる夏は今年だけ!!!!!!楽しみ!!!!!!!!たくさん遊んでたくさん思い出作るゾォ〜〜〜〜〜!!!!!!!!

 

…………クソインスタクソママクソキラキラクソアカウントが言いそうなことを頑張って白目剥きながら言ってみたけど、全然元気出ないですね。幼稚園の夏休みの長さ、本当に異常なのよ。誰も幸せはならないのよあの休み。「夏休み」と書いて「この世の地獄」と読むのよ。テスト出るから覚えておいて。

 

 

 

 

 

さてさて、最後に

 

 

イ・ビョンホン!!!!!!

あんたは!!!!!!!

必ず売れる!!!!!!!

必ずや!!!!!有名になる!!!!!!

私が!!!!!!

保証する!!!!!!!!

2022年ですね

どうも、yumihiko氏です。

 

 

 

さときち先輩が母国に戻って10日ほど経ちましたが、今日も地球は何事も無かったかのように廻っていますね。あの?さときち先輩が?私たち家族の元から?去っていったというのに?今日も地球は?何事も無かったかのように?廻っている???…………イカれてんな地球!!!!!!?

 

 

 

というわけで、さときち先輩一時帰国をダイジェストで振り返っていきますね。1日ずつ振り返るなんてあんなバカなこともうしません!!!やっと気づきました!!!バカでした!!!!!ガーーーハッハッハ!!!!!!!(さときち先輩ロスにより情緒が不安定)

 

 

 

 

パッと浮かんだことだけをサ〜〜〜っと書いていきますね。…「パッと浮かんだことだけをサ〜〜〜って書いていく」なんてそんなことyumihiko氏に出来ます?大丈夫そ?

 

 

まぁとにかくいきますね。

 

 

 

 

とある日、父子にお留守番を委ね、わたしは大都会TOKYOに親友に会いに行きました!!!(久しぶりの新幹線&久しぶりの一人でのお出掛け&久しぶりの再会でそれはそれは楽しかった)

 

前日の夜に「寝るときまでには帰ってきてほしい、さみしくなっちゃうから」と何回かさときっちゃんに言われていたので、その予定だったのですがふつうに帰宅が22時とかになっちゃって、リビングで一人寛ぐさときち先輩に「さときっちゃん寝たね?どうだった?泣いてた?怒ってた?」と尋ねると「いや、寝る前に"お母さんいま新幹線乗ってるって"って言ったら"そかそか、寝よっか⭐︎"つってすぐ寝たよ」とのことでつらかったです。

 

「そかそか、寝よっか⭐︎」のドライさときっちゃんとは反対に、yumihiko氏はベストフレンドとバイバイして一人新幹線乗ってから家に着くまでは「ハァ〜〜〜さみしい、はやく家に帰りたい」とずっと落ち込んでいたし(重い)、帰宅時の第一声は「ハァ〜〜〜もうさみしくてさみしくて!!!」でした(重い)(さときち先輩はスマホをいじりながら「いいからまず手を洗ってきて」と真顔でした)(少しくらいこっちを見ろ!!!歯を食いしばれ!!!)

 

 

また別の日、一人で映画を観に行きました。(『キングスマン』の3作目を観ました。2作目同様、1作目ほどの「うお〜〜〜!!!おもしれぇ〜〜!!!」っていう衝撃は無かったけど、良かったです。一説によると「yumihiko氏は、英国紳士が出ていればなんでも良い」という説アリ)

 

18時だか19時だかに帰宅するとベランダにまだ洗濯物が干されていたので「洗濯物入れておいてほしかった」と呟いたらさときち先輩、「あっ、ごめん、忘れてた」と言い、急いで洗濯物取り込んで急いで洗濯物畳み始めたの、アレ良かったですね。もちろん猫背でしたよ、畳んでるとき。

 

 

 

またとある日(時系列はバラバラです)、さときっちゃん念願の、「公園でお父さんと凧揚げ」をしました。

カイトを一生懸命操るさときち先輩(長くて細い)とそれにちょこちょことついていくさときっちゃん(短くて細い)、仲良しの割り箸と爪楊枝みたいでかわいかったです。私も竹串あたりになって仲間に入れてほしいな。…え?竹串はちょっとちがう?そもそもyumihiko氏、ビール飲み過ぎで太ったじゃん、竹串にすらなれないよって?アメリカ人のくせに人の身体的なことを指摘するなよ!!!あと、事実を言われると泣くぞ!!!泣かれたくなければ事実を言うな!!!お口YKKだ!!!いいか?!!わかったか?!!!!

 

(ビール飲み過ぎて太ったyumihiko氏に対して「あれ?前もっと痩せてなかった?いいんだけど、肝臓大丈夫?」と心配してくれて相変わらずさときち先輩はいい人でした。「体型は維持してほしい」みたいなこと言われたら「なぜあなたにわたしの体型について指図を受けないといけないわけ?!わたしの体は!!わたしだけのもの!!!これからも好きなだけ飲むからな!!!」とかすぐにキレ散らかす予定だったけど、ふつうに肝臓の心配とかされたので2022年は本当にお酒の量を減らします。)

 

 

 

そういや、「トシロー(私の父)が合唱クラブで今度第九を歌うらしいよ、家でピアノで音程取りながら日々自主練してる」と話をしたらさときち先輩が「ガチじゃん、ガチローじゃん」って言ったの、個人的に凄くツボってしまって、その日しばらく「ガチロー」って思い出しては一人ふふふ…となっていましたね。寝る前に「ガチローがまだ面白い、ここ最近でいちばん面白い」とさときち先輩に言ったら「あ、そう」と全然興味なさそうでした。

ちなみに未だに「ガチロー」、面白いです。何故面白いのかは自分でもわかりません。ガチローってwwwwwwガチなトシローがガチローってwwwwwwwww……よく考えたら全然面白くなくなってきたな。なんだよもう。クソが。

 

 

 

 

さときっちゃんが「お母さんはこれからおばあちゃんになるの?おじいちゃんになるの?」と聞いてきたときにすかさずさときち先輩が真顔で「どっち?」って確認してきたのアレ、楽しかったな⭐︎やだなもう、おばあちゃんになるに決まってるじゃん⭐︎わかりきったことを敢えて確認してくるのウケるからやめてよね⭐︎まったくもうさときち先輩ったら⭐︎ふふふふふ⭐︎

 

 

 

 

さときっちゃんは、クリスマスプレゼントにサンタさんから念願の任天堂switchをもらって、年末年始は父子で楽しんでいたわけですが、たま〜〜〜にyumihiko氏が「お母さんにもやらせてよ」と頼んだ時のさときっちゃんのあの目!!!(いや、おまえゲーム下手じゃん、一緒にやるとかマジ無理よ)というあの目!!!いざ一緒にやっても、さときっちゃんはずっと喧嘩腰で、とにかく何が起ころうと全てお母さんの責任にしてくるのでこちらもそれなりに大人気なく対応させていただいて、無事ケンカ。

 

さときち先輩、一時帰国中の10日間で「ふたりとも仲良くして」って156,324,855,556回言ったと思う。

 

スイス(永世中立国)は、常に妻と子の間で妻子のイザコザに冷静に対処してくれるので助かります。あ、スイスってさときち先輩のことです。

 

 

お父さんに叱られたり注意されたりすることに免疫の無いさときっちゃん、「人に向かって物を投げちゃダメだよ」みたいな、言われて当然の注意をやさしく言われるだけで拗ね太郎になってしまい、口をこれでもかってくらいとんがらせて(この顔、物凄く味があってかわいい、ヒョットコもびっくりのおちょぼ口)、「もうお父さんきらい、ぜんぶきらい」と心を閉ざししばらくわたしのところにベタベタとまとわりついてきて無言で(かまってほしい)(慰めてほしい)(ぼくは傷ついている)(おとうさんがぜんぶ悪い)みたいな感じ出されるのが、さときち先輩が居る暮らしで唯一(めんどくさいなぁ)と思うことでした。

 

これについてはお父さんと暮らしていく上で慣れていくしかないですね。拗ね太郎?聞いてる?わかった?あ、ほ〜〜らまたす〜〜〜ぐ口とんがらせる!!!ひょっとこって呼ぶよ?!!!!?!

 

 

 

さときっちゃん、さときち先輩のにおいをクンクンと嗅いで「ハァ〜〜アメリカのにおいがするねぇ」と満たされた顔するやつをしょっちゅうやっていてファン歴5年の新規がそんなことをしやがるなんて古参yumihiko氏としては許せなくて、新規がそういうことをするたびにチベットスナギツネフェイスで2人を見ていましたね。しかも推しもまんざらでもない顔しやがってよぉ!!!!!ふざけんな!!!!!こっちはこれまでいくらアンタに課金してきたと思ってるんだよ!!!!!!結局若いファンがいいのかよ!!!!!!!(さときち先輩のほうがよほどyumihiko氏に課金していると思う。もう少しyumihiko氏は冷静になるべき。これだから昔からのファンは怖い)

 

(ちなみにですけど、ファン歴が長いからえらいとか短いから偉く無いとか、そんなのは関係ないと思います。怖いんですよね、BTSのファンのそういうの。もっと平和にやっていこうよ。ジミンちゃんのあのすっぴん時に笑った際の糸目思い出してさ、心穏やかにいこうよ。)

 

 

まぁとにかくyumihiko氏のチベスナフェイスにご注意を!ということ。(?)

 

 

 

前回の一時帰国で、壊れていた我が家の掃除機を直そうとさときち先輩が分解した結果、何かそもそも部品が一個欠けていて(私が恐らくなくした)結局新しい物を買ってもらったわけですが、今回も「あれ?なんか全然吸えてないな?」と気づいたさときち先輩、また分解していました。分解しながら「なんか僕、毎年掃除機分解してるな…」と首を傾げていたの楽しかったです。(掃除機は直りました)

 

 

 

さときち先輩帰国中、毎晩わたしはNetflixで『YOU』の最新シーズンを観ていたんですが、大して観ていないさときち先輩がふと「あれ?コイツ(主人公)、どっかで見覚えが…」と呟き、2秒後に「ダンか!!!」とゴシップガール出演時の役名を彼にしては割とデカめの声で発していたの面白かったです。そこからまたしばらく彼は無言になり、8分後くらいに突如「ハンフリーか!!!」と「ダン」のラストネームも思い出していたの、更に面白かったです。たぶん『YOU』全10話鑑賞中にさときち先輩が喋ったのあの時だけだっと思います。「ダンか!!!」と「ハンフリーか!!!」の二言。ダン・ハンフリーも浮かばれますね。(死んでないです)

 

それにしても、さときち先輩、ゴシップガールほぼ観てないし興味も無いのに「ダン・ハンフリー」思い出したのマジ面白いな。ウケる。

 

 

 

 

ミニドラや猪巻先輩(呪術廻戦)を「かわいいから」という、屁理屈クソもやし野郎らしからぬシンプルな理由で好きなさときち先輩に「キノピオも好きでしょ?かわいいから。」と訊いたらふつうに「そりゃ好きだよ」と即答されて照れました。(?)

 

 

 

 

そういや、「YouTubeのCMで神木くんがユーチューバー役で出てるやつ知ってる??あれ流れるとさぁ…毎回最後まで見ちゃうんだよねぇ…アメリカだと流れないからさぁ…日本来てからアレ流れるたびに必ず毎回最後までちゃんと見ちゃうんだよねぇ…いいんだよねぇ…アレ…」って急に饒舌に喋り出したの結構怖かったです。「なに?めっちゃ喋るじゃん。再会して数日経つけど神木きゅんのことについて喋ってる今がいちばん口数多いじゃん。なに?」ってなりましたね。

 

っていうか毎回毎回思うけど、神木きゅんの話してるときのあのトロンとした目、なに???心なしか頬を赤らめてるしね!!!!!鈴木さん(わたし)に対してはあんなに顔色悪いのに。

おい!!!神木さんよぉ!!!!!!あんたはわたしの配偶者に一体何をしてくれやがったんだ?!!!!許さんぞ!!!!!!お?!?!!!!

 

 

 

テレビ観ながら「ぼくこの人(上白石萌音さん)好きじゃないんだよな」と言うので「なんで?でもこの子、君の名は。神木きゅんの相手役だったじゃん」と言ったら「声でね!!!そこ重要だから。声だから。」とまたいつになくハッキリとした口調で返されてこわかったです。神木絡みの話題になると瞳孔開くのやめて。神木だけじゃなく、鈴木のこともたまには想って。まぁたしかに神と鈴じゃ、鈴、圧倒的敗北だけど。つらい。

 

 

 

 

さときっちゃんの寝顔をまじまじ見て「めちゃカワ」と言うので「寝てる時はかわいいよね、寝てる時は」と返答したらなにかゾーンに入ってしまったさときち先輩は「いや、ずっとかわいい、ほんとかわいい、さときっちゃん、世界のこどものなかでいちばんかわいい、というかさときっちゃんだけかわいい、誰もさときっちゃんには敵わない」と真声(暗闇なので顔は見えない)で言っていました。かわいいかわいいうるせぇな。(子に嫉妬)

 

ちなみにあまりにかわいいかわいいうるせぇのでコイツさては根本がわかってねぇな???と思い「いい???さときっちゃんがこうして可愛く育っているのはこの私が必死こいて育てているからということを忘れることなかれよ?!?!!大変なんだからね?!!!!さときっちゃんを愛でる前にまずわたしを愛でてくれ!!!!!」とキレましたよ、もちろんですよ、えぇ、もちろんもちろん。安心してください、キレますよ、そりゃ。

 

 

 

あ、そうそう、キレで思い出したけど、

さときっちゃんの幼稚園から届いた年賀状、さときち先輩とさときっちゃん宛に来てたので、「は???必死こいて毎日通わせてるのこのわたしなのに???さときち先輩なんて幼稚園と一切関わってないのに???アメリカに単身赴任中って知ってるのに???世帯主だってわたしですよ???それでも???なお???さときち先輩宛に出す???令和だぞ???時は!!!令和!!!」とお正月に無事、新年初キレをさせていただきましたよ。いや、おかしいだろ。

 

夜寝る前もモヤモヤして「年賀状、なんでさときち先輩宛て???」と再度キレていたら、普段はわたしのキレに「まぁ落ち着いて」となだめるさときち先輩も珍しく「いや、たしかにね。世の中のお母さんがみんな思ってる疑問だろうね」などと共感してくれました。珍しく共感してもらえて嬉しかったのですぐぐっすり眠れました。幼稚園!!!時は令和も4年だというのに、この期に及んで父親宛てに年賀状送るという物凄く古(いにしえ)の手法をとってくれてありがとうな!!!!!ケッ!!!!!!

 

(っていうかああいうのって、シンプルに児童の名前だけ書けばよくない???????)

 

 

 

 

一時帰国初日の夜恒例、入浴前の脱衣所にて「おとうさん、ちんちんあるね!」「あるよ」という父子のやりとりを今回も無事聞けたときは嬉しかったです。成人男性のちんちんを見ることが普段無いのでとても新鮮なのでしょうね。なんかもうおばさんになったからなのか男児の母になったからなのかその両方なのか、「ちんちん」と発することへの抵抗のなさがすごいですよね。これが年の功というやつか。(?)(?)(?)

 

 

 

 

 

一時帰国終了前夜、最後の晩餐にしゃぶしゃぶとすき焼きを食べに行ったんですけど(日本食が豊富なアメリカでもすき焼きは無いらしい。そもそも生卵食べられないもんねぇ)、yumihiko氏は飲み放題でずっとお酒飲むわ、さときっちゃんは5歳だわで、結局いつも通りさときち先輩は色々忙しそうでした。あまりに忙しそうなので「さときち先輩大変そうだね。疲れない???」と訊いてみたら、せっせと5歳のための肉を用意しながら「もう3日前くらいから限界だよ」と真顔だったので、yumihiko氏は「うはは!!そかそか!!!」っつって楽しい気分でビールを飲みました。

 

さときち先輩は帰宅後「すき焼きぜんぜん食べられなかったな…さときっちゃんが思いのほか食べたな…ぼくの分、無かったな…すき焼き食べたかったな…」と呟いていて、すごい可哀想でした。

 

一時帰国中の寝室は、ダブルとシングルの布団をつなげた割と広々空間だったんですけど、

なんせ、妻子がさときち先輩のことを毎晩ギチギチに挟んで寝るもんですから、さときち先輩は毎朝「体が痛い…」とつらそうでした。

 

アメリカに戻ったらまた一人で広々寝られるからいいじゃん今ぐらい」と励ましたら(?)、「だけどまた半年後から2人に挟まれて寝る暮らしが始まると思うとつらい…」と、もっとつらそうでした。

「妻子にギチギチに挟まれて寝る生活」に既に覚悟を決めて粛々と受け入れてるのよかったです。

 

 

 

 

 

 

アメリカ人さときち先輩コーナー〉

 

・飲み終わった缶コーヒーをそのままリビングのゴミ箱に捨てるさときち先輩

 

y「ちょっと!!!ちゃんと分別して!!!アメリカじゃないんだから!!!」

 

さ「え?なに?日本って缶燃やせないの?え?ゴミってなんでも燃えるんじゃないの?」

 

y「これだからアメリカ人は!!!」

 

 

 

 

・全方位一時停止の十字路に出くわしたさときち先輩

 

さ「どっちが優先?あ、All WAY STOPか」

 

y「アメリカ人っぽく言うんじゃないよ!!絶妙にイラッとするね!!」

 

 

 

・食器洗い中のさときち先輩

 

さ「あれ?日本のキッチンってディスポーザー無いんだ」

 

y「今日もやな感じだね!!!」

 

 

 

 

そんなこんなで相変わらずアメリカ人でした。

 

あ、左ハンドルの車に乗ってるクセで、ウィンカー出そうとしてワイパー出しちゃって「おっと」ってなるやつ今回もやってて楽しかったです。

 

 

ちなみにさときっちゃんは「おとうさん、夏にアメリカのおしごと終わって日本に帰ってきたらアメリカ人じゃなくなっちゃうけどいいの?」というわけのわからん心配をしていたので「お父さんは今も日本人だよ、アメリカ人だったことなんて一度も無いんだよ、生粋の日本人だよ」と答えました。彼は腑に落ちていませんでした。

 

あと「お父さんがアメリカのおしごとおしまいになって日本にかえってくるの楽しみ。お父さんが帰ってきたらこんどはぼくがアメリカに行く!!!」とウキウキしていたので、「???」と思いながらもさときち先輩にこの話を伝えると「えっなんで?」と少し焦っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

…ちょっとキリがないのでとりあえずここらへんで終わります。また何か思い出したらパート2があるかもしれません。知らんけど。

 

 

 

 

 

さときち先輩の一時帰国が終わって早一週間以上。

今回の一時帰国は、オミクロン(クソ)の爆誕により「帰ってこれたらラッキー。会えなくてもどうせ夏には会えるし」と、割と気楽に考えていたのと、実際に会えても「バイバイしても夏にまた会えるし」という感じだったので、アメリカに戻ってしまった後もそんなにさみしくならないだろうな、と思っていたんだけれど、

 

「あと半年で会える」っていうのと「さみしくない」っていうのはまた別物でしたね。いざバイバイしたらふつうにさみしかったです。

 

たしかに半年なんてあっという間なんだけれども、それとはまた別問題で、昨日まで居た人がまた居なくなって、いまこの瞬間そばに居ないっていうのはやっぱり慣れるまではしばらくつらかったです。舐めてました。ごめんなさい、先生。(?)

 

 

さときち先輩がアメリカに戻る朝、「わたしの頭の中で山崎まさよしが流れ始めたわ。い〜〜つでもさ〜がしているよ〜どこかにき〜みの姿を、って」と言ったら「重いからやめて」と忙しそうでした。一瞬でいいからこっちを見ろ!!!歯を食いしばれ!!!!

 

 

でもあれですね、新幹線のホームで見送る時のあの、この世のさみしさ全部かき集めたみたいな気持ちをもう味あわなくていいのは嬉しいです。あの時のあの感じほんといや。

 

 

 

というわけで、とりあえず終わります。

 

 

 

2022年の抱負、

さときち先輩「日本に帰る」

yumihiko氏「さときち先輩が帰国するまで母子ともに生きる。お酒を控える」

さときっちゃん「ぜんぶできるようになる」

 

を胸に今年もぼちぼち生きていきますね。

今年もよろしくお願いしま〜〜〜〜す!!!!!!!!!!!!!!!(クソデカボイス)(主にさときち先輩に言っている)

あけましておめでとうございます

どうもyumihiko氏です。

さときち先輩が10日間の一時帰国を終え、アメリカに戻りました。結構さみしいけど、夏には帰って来るのでそれまで生きますね。

それでは聴いてください、DISH//『猫』の替え歌でYUMISH/////////////////(ユミッシュ)で『猫背』。

(さときち先輩が怯える姿を想像しながら作詞しました。楽しかったです。)

 

 

 

 

朝焼けが燃えてこの街ごと

飲み込んでしまいそうな今日に

君は母国に帰ってしまった

 

明日が不安だ とても嫌だ

だからこの瓶ビールごと

飲み干してしまって胸焼け

 

だけども休んでいられないよな

子どもってウケるくらい元気よな

かなしい昼になんだか笑っちゃう

 

家まで帰ろう 2人で帰ろう

夫のことなど幻だと思おう

君の枕など嗅いでやるさバカ

気色悪いだろ、そうだろ

 

君が居なくなった日本も

このどうしようもない気怠さも

私と息子が喧嘩して

大人気ない母はふて寝して

猫背だったんだよな 君は

いつかフラっと帰ってきてくれ

何気ない毎日を父子色に染めておくれよ

 

朝焼けが燃えてこの街ごと

飲み込んでしまいそうな今日に

君は母国に帰ってしまった

 

遠すぎる家族はどこでもドアで

出会うことは可能なのかな

願うだけ無駄なら もうダメだ

 

家まで着くのがこんなにも嫌だ

運転席のシートは

君が乗っていた時のまんま

想い出巡らせ

がんじがらめのため息ばっか

馬鹿になって、宴会

 

君が居なくなった家は

面白いくらいにつまらない

全力で楽しもうとするけど

最終的にいつも母子ケンカ

猫背だったんだよな 君は

いつかまたあの真顔見せてよ

矛盾ばっかでムチャクチャな5歳

手懐けてほしい

 

君が居なくなった日々も

このどうしようもない気怠さも

私と息子がケンカして

大人気ない母はふて寝して

猫背だったんだよな 君は

夏にフラッと帰ってきてくれ

たまのサワーで首を桃色に染めておくれよ

 

君が猫背じゃなくなったら

この腕でまた猫背にするよ

鎖骨のケガは私が守るし

冷え症の対策してあげる

会いたいんだ 忘れられない

猫背でまた現れてほしい

夏に君がフラッと現れて

yumihiko氏また、幸せで