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さときち先輩、一時帰国⑧?

どうも、yumihiko氏です。

 

ねぇ、なんかビックリするくらいあいだあいちゃって引いてません?わかりますわかります、だって私がイチバン引いてますもん。

 

いやぁ、正直、☆夢のさときち先輩ウィーク☆の最終日は、お昼前に駅でバイバイしただけだから特に書くことが無いんだよね!!(開き直り)

まぁ強いて言うなら、私が駅のホームで「さときち先輩が居なくなったら明日から私はどうやって生きていけばいいのさぁ…2人じゃ生きていけないよぉ…」とゴリゴリに号泣したくらいですかね!!え、ちょっと待って、「強いて言うなら」の前置きで言ったエピソードのパンチ、ありすぎない?え?31歳のゴリゴリの号泣見たくなくなくなくなくなくない?え?

 

 

ちなみにさときち先輩は「一生会えなくなるわけじゃないから!またすぐ会えるから。1人で大変だと思うけど、また会えるから、ね?」と冷静でした。その目は乾き切ってましたね。せめて目薬くらい用意しとけよ!!温度を合わせろよ!!!

 

ちなみにさときっちゃんは「バイバ〜イ」と軽いノリでした。…いや、おまえらの温度!!!私の立場!!!!!(再びゴリゴリに号泣)

 

 

…コホン。

 

 

 

とにかくそれくらいだったので、最終日自体は特に書くことが無いんですけど…

 

今回は、☆夢のさときち先輩ウィーク☆の振り返りとか今の心境とかそこらへんのことを徒然書いていこうかなと思います。

 

割とマジメになってしまうと思います。たぶん。恥ずかしいけど。「コミカル」だけを売りに生きてきたのに…!!クソ!!!!!

 

 

 

 

さときち先輩がアメリカに戻ってからしばらくは本当にさときち先輩ロスで。

 

本帰国して半年が経って、さみしいながらもどうにかさときち先輩が居ない日々が当たり前になった頃にまたふとさときち先輩が現れて、しかも1週間も一緒に暮らして、また突如居なくなって。

 

「居ないのが当たり前」って割り切っていたけど、今回の一時帰国で、さときち先輩はあまりにも全てにおいて「いつも通り」で、さときち先輩のその「いつも通り」を一週間みていたら、「あれ?居ないのが当たり前なんじゃなくて、居るのが当たり前なんじゃないか?あれ?」とかって混乱。

 

 

んでね、この混乱が最終的に「家族はやっぱり一緒に居るのが一番。なのになんで私はそれを手放したんだっけ?」ってなるんですよね。えぇ。よくないですよ、この思考回路はね。思考回路はショート寸前ですよ。え?知りません?ムーンライト伝説。え?違う違う、プリキュアじゃないプリキュアじゃない!!

 

…いや、とにかくね、さときち先輩がアメリカに戻ってからはこの、今さら考えてもしょうがないクソしょーもない思考から抜け出すのが大変でした。

 

「またアメリカで暮らしたい」とか「次は頑張れるかも(次は無いけど)」とかじゃないんですよね、ただただ「なんでこんなことになったんだろうな」という暗澹たる気持ち。(「暗澹たる」って使いたかっただけ感は否めない)

 

 

まぁでも、そういうのって大抵時間が解決するんですよね。一時帰国最終日の朝、さときち先輩は「しばらくはyumihiko氏、荒れそうだねぇ」と他人事のようにしみじみ言っていましたが、まぁ食べたいもの食べて飲みたいだけ飲んでなるべく心を無にして(無理だけど)自由に暮らしました。(「いつも自由に暮らしてるじゃん。生まれた瞬間から現在に至るまでずっと自由に暮らしてるじゃん」という的確なコメントを挟むのをやめなさい、さときち先輩!!)

 

クヨクヨウジウジしてても日々は淡々と過ぎていくわけで、育児は待ったナシなわけで、富良野は寒いわけで、お前が好きなわけで…おっと、気を抜いたらいつのまにか某バンドのラブソングを歌ってしまっているな…いかんいかん。

さときち先輩ロスながらもバタバタと日々はすぎていき、「大丈夫?」「生きてる?」「泣いてない?」と心配してくれる人たちも沢山いて、少しずつモヤッとした気持ちが晴れていきました。

 

 

 

あ、そうそう、滅多に体調を崩さないさときっちゃんが、さときち先輩一時帰国後風邪を引きました。夏の疲れと一時帰国中に色々とお出掛けした疲れが一気に出たんだと思います。久しぶりのお父さんとの再会に終始浮かれていたし。

 

「さときち先輩は体調大丈夫?」とラインしたら「僕はいつでも疲れてるから大丈夫だよ」と返事が来たので、さすがアメリカ人だなと思いましたね。だけどよく考えたらさときち先輩ってアメリカ人じゃないですよね。本人があまりにふつうに「僕アメリカ人だから」って言うもんだからもうわかんなくなってきてますよね。

 

 

1ヶ月に及ぶさときち先輩ロスから抜け出した最大のキッカケは、9月の終わりに行ったさときち先輩実家ファミリーとの旅行でした。

 

さときち先輩実家は某晴れの国なんですけど、お隣の某うどん県の「レオマワールド」なる、ディズニーランドの8億分の1のスケールの夢の国に1泊2日で行ってきたんですよ。

 

旅行の前後は、帰省も兼ねて岡山(「某晴れの国」って打つのが面倒になった)のさときち先輩姉ファミリーのお家に泊まりました。

 

本帰国してからは初めての帰省。みんなに会うのは実に1年半ぶり。

 

さときち先輩姉は2人居まして、それぞれに2歳の子供(さときっちゃんと同級生)の男子と女子が居るので、2歳児が集結してもうてんやのわんや。(ちなみに姉①にはもう1人生後4ヶ月の男子が居る)

 

私とっては甥っ子と姪っ子になる3人の小人たち。なんか甥っ子2歳はとにかくあまのじゃくで私の発言全て否定されていたし(例えばリュウソウピンクのフィギュアで遊んでいる彼に「甥っ子ちゃん、リュウソウピンク好きだねぇ?」と言うと「ピンクじゃない!!」と言われたり、美味しそうにオヤツを食べてる彼に「甥っ子ちゃん、オヤツ美味しい?」と聞くと「おいしくない!!」と言われたり。)、たぶん私の存在自体最後まで受け入れてもらえなかった感がある。そして姪っ子2歳は「ひとみちゃん…好き….」とちょいちょいハニカミながら告白してくれたけど、わたしの名前「ひとみ」じゃないんだよね。4日間一緒に居たけど、最後まで「ひとみちゃん」呼ばわりされたからもういっそのこと改名しようと思う。てかわたしの名前そもそも「ひとみ」じゃね?(すぐ洗脳されちゃう)

 

甥っ子4ヶ月は、ただひたすらに赤ちゃんで天使でした。2歳年上の兄と2歳年上のいとこの暴れん坊っぷり、それに終始ブチギレっぱなしの母たちをみてかなり空気を読んでいましたね。あぁ、この子は空気の読める穏やかな子になるな、と叔母は思いましたね。(柔和な笑み)

 

 

そんな感じで、繊細で自由奔放で反抗期の2歳児たちと全然仲良くなれた感無いし名前すらちゃんと覚えてもらえなかったけど、みんな可愛くて、最高でした。

 

ちなみに、甥っ子2歳はリュウソウジャーに激ハマり中で、姪っ子2歳(まもなく3歳)はマイメロちゃんに激ハマり中。

 

そのせいかよくわかんないけど、リュウソウジャー、マイメロが好きになってきちゃいましたね。いや、好きというか、「あ、買わないと」という使命感。

 

 

久しぶりにさときっちゃんと2人で新幹線に乗って岡山のみんなに会えて遊園地で遊んでビールもたらふく飲んで食べて、「弟(さときち先輩)はもうなんでもええんよ、yumihikoちゃんとさときっちゃんに会えさえすりゃあ。」という、岡山に帰省した際の恒例の言葉も聞けて、実に楽しい3泊4日でした。

 

さときっちゃんの体調が微妙だったから直前まで行くか迷ったこの旅行。けど、すっかりさときっちゃんも元気になって、行ったおかげで私も元気になって、ホントに行ってよかったです。誘ってくれてありがとう。(この場を借りてお礼)

 

あ、ちなみに今回久しぶりにブログを更新したのは、岡山に帰省した際に義姉①に「最終日のブログまだ更新してないよな?!読者は待っとるからな?!!めっちゃチェックしとるかな?!!」とゴリゴリの岡山弁で圧をかけられたので、それもあっての更新です。岡山弁、慣れてはきたものの、未だにふつうに怖いんじゃ☆

っていうか熱心な読者、もはや義姉しかいないんじゃないかな、え?熱心な読者が身内しかいないならもはやラインでよくない??考えれば考えるほど悲しくなってきたので思考を止めます。(再びの思考回路はショート寸前。え?ムーンライト伝説知らない?いや、だからプリキュアじゃないって!セーラームーンだって!!)

 

 

 

「さときち先輩ロスだった割に、元気に毎日ブログ更新してたじゃん」って思う人もいるかもしんないけど、むしろ、さときち先輩ロスだからこそブログを書いてたようなところがあって。

 

一時帰国を振り返りながらブログを書いていると、ふつうに楽しくて元気が出てくるんですよね。

 

これについて「ブログを書くと元気が出る!ブログセラピーだよ!こりゃ!!」とさときち先輩に言ったことがあって、「さときち先輩ロスがまた悪化。元気が出ない。」とかってラインすると「ブログを書きなさい」と言われ、「そうか!そうだった!!」とブログを書く、みたいな日々でした。

 

 

ブログ、いいですよ。(え?話の終着点ココで大丈夫?)(大丈夫じゃない)

 

 

 

 

 

 

 

さときち先輩ロスから抜け出せたからと言って、一人で育児するしんどさとかお父さん(夫)の居ないさみしさとかは変わらず常にあるけど、それは一時帰国の前の状態に戻っただけなので大体大丈夫。(強がっているわけではない)

 

大丈夫じゃない時は、さときち先輩や周りの人に「大丈夫じゃない!!!!!」と助けを求めれば大丈夫だから大丈夫。

 

そういうね、敢えて言うまでもないことを改めて思ったさときち先輩ロス期間でした。あぁ、あとは「色んな人に支えられて生きているんだな」とか、いやホントに自分でもビックリするくらい月並みな、散々ニンゲン共が言ってきたセリフを改めて噛み締めたここ最近でしたね。

 

 

 

あと3年、さときち先輩の単身赴任は続くわけだけど、3年間って長いけど、ましてやさときっちゃんのこれからの3年なんて私のこれからの18年分に値すると思うんだけど、

 

(「え?さときっちゃんのこれからの3年に筆頭するくらい中身のある18年がこれから過ごせるの?yumihiko氏はまだ伸びしろがあると思っていいんだね?まだ僕は諦めなくていいんだね?希望を持っていいんだね?出会ってからの数年間は全く成長が見受けられなかったけど、この先の18年間に期待していいんだね???」と、やたらと詰め寄るさときち先輩へ。頼むから期待しないでほしいし、なんか落ち込んできたからもう黙っていてほしい。)

 

 

これからの貴重な3年間、弱音愚痴暴言を吐き散らしながら、時に嗚咽しながら私なりに大切に過ごしていきたいな、とうっすらぼんやりとなんとな〜く(濁しに濁す)思っています。

 

さときち先輩にたまに会えた時は、会えなかった間の分まで2人でさときっちゃんの成長を喜びたいと思います。

 

ついでに久しぶりに会えたあかつきには、

 

y「”yumuhiko氏、いつもありがとう、愛してるよ”と言いながら頭を撫でておくれ、棒読みでいいから。リピートアフターミー!」

 

さ「yumihiko氏、いつもありがとう、愛してるよ、棒読みでいいから。」

 

y「いやいや、”棒読みでいいから”の部分はリピートアフターミーしなくていいのよ!!わかるでしょうよ!!」

 

さ「え?そうなの?日本語って難しいね、よくわからないや、僕アメリカ人だからさ」

 

y「おぉ!そうかい!!!!!アメリカ人さんよ!!!!!もういいわ!!!!!」

 

というやりとりもしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まぁ色々とありますが、

さときち先輩の一時帰国、一時帰国終了、その後のさときち先輩ロス、そこからの生還を経て、そこそこ前向きになっていますよ、という感じです。

 

 

 

 

 

いつになくまとまりのないポツリポツリとした文章になってしまったけど、まぁね、「徒然書く」って最初に言ってあったんでね!!!ね?!!!!(恫喝)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

別れ際、ゴリゴリに号泣しながらも「また会えるのを励みに頑張る…」とさときち先輩に宣言したので、あの時の自分の為にも、次会えるのを励みに、ぼちぼちやっていきます。

 

 

 

 

 

最後に、さときち先輩へ。

 

私は日本でさときっちゃんと喧嘩しながらもどうにか彼を育てていくので、さときち先輩はアメリカで無事に生きていてください。あとラインを100時間くらい既読スルーするのはやめてください。あと嗚咽しながら電話した時は今まで通り、余計な正論を挟まずひたすらに「うんうん、大変だよね、yumihiko氏は頑張ってるよ、ありがとう」とだけ機械のように繰り返してください。そうです、あなたの得意な「言葉のスヌーズ機能」です。

 

そして、日頃から感じているあなたの偉大さを一時帰国で改めて感じました。なんやのかんやで常に家族のことを一番に考えてくれているところ、本当に感謝しています。ありがとう。

 

あと、「プライベートをもっと教えておくれ!!私の知らないうちにキャンプを5回も6回もしているな!!!」と嘆いてからは、「今週末はキャンプです」と事務連絡のテンションで教えてくれるようになりましたね、ありがとう。ちなみに次のキャンプはいつですか?(キャンプの日程に執着)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、よいお年を。

(もう年内に最悪ブログ書かなくてもいいように保険をかけるyumihiko氏)